私はこれまで、4回の病休を経験しています。すべて職場復帰したのですが、その道のりは紆余曲折で、本気で退職を考えたこともありました。その経験を今回まとめてみたいと思います。

4回の病休

 まず、4回のうち、2回は「内臓系の病気入院のための病休」と、「怪我による手術入院のための病休」です。これは、言ってみれば仕方のない病休でした。
 残りの2回は、『上司のパワハラによる精神疾患のための病休』と、『保護者対応による精神疾患のための病休』です。これらは、本当に辛いものでした。今回は、精神疾患による病気休暇の経験について重点的にまとめていきます。

初任時の病休

 まず、精神疾患による1回目の病休は、私が初任者の時でした。当時の初任者担当の指導教員の先生と馬が合わず、全く仕事を教えてもらえませんでした。さらに、子どもの前で“今の説明で分かった?わかんないわよね?”などと叱責を受けることも度々ありました。成績処理の時期、私は本当に何も仕事を知らなかったので、すべきことを何もしていない状態でした。職員室で大叱責を受け、これまでなんとか保っていた心が折れました。『適応障害うつ状態』と診断を受けました。

 しかし、初任者はいわゆる試運転期間です。私は2か月の病休をとりました。それ以上休むと、採用が取り消されると言われたからです。私は、もし2か月でダメなら諦めようという気持ちで休み、2か月後に出勤しました。私を救ってくれたのは、子ども達でした。元クラス(私は担任を外れています)の子ども達が、本当に喜んで私を迎えてくれました。私は毎日懸命に授業準備など出来ることに取り組み、先生方の信頼を取り戻していきました。

中堅時の病休

 次に、精神疾患による2回目の病休は、もう中堅と呼ばれる時期になっている時でした。当時担任していたのは、低学年から学級崩壊してきている学年で、私が4年、5年と持ち上がって担任してました。そんなある時、保護者の電話からいじめが発覚しました。この時点で後手ですから、すべてが上手くいきませんでした。私は校長の指示の下、毎日このいじめの解決のためにすべての時間を費やしていました。

 しかし、話を大きくせずに解決してほしい被害者側保護者と、“どうしてうちの子だけが?”“今更こんな時期に?”などと噛み付いてくる加害者側保護者が、VS学校のような構図となってしまい、担任である私が一斉に非難されました。持ち上がりのクラスだったため、子どもとの信頼関係も出来ていると自負していただけに、心のダメージは大きく、再び『適応障害うつ状態』の診断を受けました。

病休と休職の制度

 この時は、私は本気で退職しようと考えていました。実際に転職活動もしました。しかし、手に職のない教師は転職に向かないことが分かりました。転職情報サイトに登録して情報を得ていましたが、やってくる情報は、塾講師、保険関係、介護関係ばかりでした。

 私は、とにかく出来るだけ病休を使って休むことにしました。病休は通常90日間取得できますが、私のように精神疾患の場合は180日間まで取得できました。それが使い終わると、今度は休職を取得できます。休職は2年間取得できますが、給与は100%は出ません。また休職2年目は給与ゼロになってしまいます。(自治体によって差があるかもしれません)

 さらに、精神疾患の場合、病休を明けると職場復帰訓練を8週間行う必要があります。私は、もし復帰するなら、どうしても早々に異動したいと思っていました。ですから、休職を取得せず、病休180日間をうまく使い、最短の勤務で異動できるように復帰訓練をして現場に戻りました。この時私を救ってくれたのは、同僚や上司の先生方でした。

これからの教師は

 現在教師は、全国で毎年約5000人が休職しており、そのうち6割以上が精神疾患が原因です。さらに、ここには病休者は含まれていません。このように考えると、一体何人の教師が精神疾患に苦しんでいるだろうと思います。これからもますます教師の立場は弱くなる一方です。
 私はこれまでの経験から、病休や休職という制度に詳しくなりました。これは我々教育公務員に与えられた権利です。周りに迷惑をかけるからといって無理をする必要は全くありません。実際に学校は回っていきますし、私が現場に戻っても先生方や子ども達は温かく迎えてくれました。さらに、友人や両親、家族は、自分がどのような状況になっても支え励まし、味方になってくれました。
 味方になってくれる人は必ずいると思います。権利や制度をよく知り、うまく使いながら、味方の人に相談し、無理せず、誠実に、笑顔で、子どものための教育を続けていけることが、我々には大切なように思います。

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