ある日の職員室、先生方の何気ない会話・・・

A先生「〇〇くんが、2桁の割り算の筆算が出来るようになったんですよ。B先生がついて教えてくださったお陰です。ありがとうございます。」

B先生「本当!?良かったです。〇〇くん、全く出来なかったもんね。頑張ったんだね。」

 この会話を聞いて、私は少々考えてしまいました。2桁の割り算の筆算は、4年生算数の学習内容の一つです。教師には子どもに指導する義務がありますし、出来るようにさせる手立てを工夫することが求められます。ですから、この先生方の会話は、おそらくどの学校でもされている会話かと思います。しかし、私が考えてしまったことは、“〇〇くんは一体何を得たのだろうか?”ということです。

教科書を教えるのか、教科書で教えるのか

 例えば、今回の話題の算数、2桁の割り算の筆算ですが、もし今この計算が必要だという時に、みなさんはどうしますか?紙とペンを持ち出して筆算するでしょうか?ほとんどの人がスマホを取り出し、電卓機能を用いるのではないでしょうか?
  また、国語の物語文。新美南吉の『ごんぎつね』や椋鳩十の『大造じいさんとがん』のように、どの教科書にも載っている有名物語文を除いては、教科書会社によって掲載されている物語文は異なります。
 さらに、全く授業をしていない状態で評価テストをしても、一斉指導型の授業後に評価テストをしても、子どもが取る点数はさほど変わらないという研究結果もあります。

 このように考えると、教科書の教材そのものを教える(教え込んで出来るようにする)こと自体に、特段意味はないことになります。では、我々教師は授業で子ども達に何を教えるべきなのでしょうか?

教材を通して身に付けさせたい普遍的な価値

 もちろん、子どもに知識や技能が身に付くことも大切です。しかし、それが中心、それが全てになってしまうと、先程の電卓の話や、自治体によって教材文が違うということになった時に、途端にそれを学ぶ価値が無くなってしまったかのように感じてしまいます。

 ですから、この教科のこの単元のこの教材を通して、子ども達にとってどのような普遍的な価値を獲得させられるかと考えたいものです。いわゆる“資質・能力”であったり、“汎用的能力”であったり、“非認知能力(EQ)”であったりがそれです。
 最初に述べた先生方の話で、〇〇くんが身に付けたことが単に『割り算の筆算という技能』だけではなく、例えば『学び方』であったり、『努力の大切さ』であったり、『出来なかったことが出来るようになった喜び』であったり、『達成感』であったりがあれば、それは普遍的な価値の獲得であり、今後の人生全てに生かせることです。

学校の授業で教えたいこと

 日頃から、教師は子どもの実態を適切に捉え、教科・単元・教材を分析し、この授業においては、知識や技能以外に身に付けさせたい普遍的な価値のあるものを別で明確に意識しておくべきです。そして、ここでこの価値に出会わせよう、ここではこの価値の獲得を目指そうと、意図的・計画的に授業を行うべきだと思います。

 日々の授業が、単なる反復練習の場、暗記の場、言われたことを受け身にこなす場にならないよう、気を付けていきたいものです。

Follow me!