公立小学校教師、今年で15年目となります。

 15年も学校の先生をやっていれば本当にいろいろなことがありましたが、今公立学校について思うことが固まりつつあります。

 それは大きく以下の3点。

1.公立学校は、大人にとって都合の“いい子”にするための教育である(教師目線)

公立学校は、安心・安全に子どもを預かってもらいたい託児所である(保護者目線)

3.公立学校は、怒られないため、嫌われないために、自分の居場所を確保するための場所である(子ども目線)

順に説明していきたいと思います。

【教師目線の学校】

 『大人にとって都合の“いい子”を育てている』というのは、残念ながら事実かと思います。教育というより調教に近いと思います。具体的には、大きな声で頭ごなしに怒鳴る・叱責する、細かいことを規則・ルールだからと目的を考えず強制する、基本子どもの話は聞かない・受け止めない、タイマーなどを使って様々な諸活動を時間管理する、子どもの“したい”は“わがまま”だと切り捨てるなどなど、挙げればキリがありません。これらは決して大袈裟ではなく、ごく一般的に学校教育で行われている行為です。

 これらの行為について、私は常々「それはおかしいのではないですか?」と声を挙げ続けてきました。「みなさんがされているのは教育ではなく制圧であり調教です。」「子ども達をどうしていきたいのですか?どのような子に育てようとしてそのような行為を選択されているのですか?」「もっと子ども達と対話を重ねていき、子ども達と共に創っていくのが教育活動ではないですか?」などと管理職含め先生方と対話を試みてきました。

 いつも返ってくる答えは「これまでもこうしてきた。」「様々な指導方法がある。」「いろいろな考え方があっていい。」「それは子どものわがままで、正しいことは教えるべき。」などです。私のような、子どもに寄り添い子どもに軸足を置いて物事を考える教師はほんとうに少なく、どこへ行ってもマイノリティです。

【保護者目線の学校】

 新型コロナウイルス感染拡大防止策として公立学校は休校を経験しました。その休校期間で私が思ったことは、➀学校では子ども達の自主自立の基礎を養うなんて言っているが、全然自分で生活を整えたり学び進めたりできないということ。②子どもがずっと家にいるので、働きに出る保護者らはとても困ったこと。特に②は切実で、低学年の児童を家に一人で置いておけない保護者の方々は、職場まで一緒に連れて行ったと聞きます。公立学校の機能の一つに『子どもを安心・安全に預かる託児所の機能』は確実に存在するということです。

 しかし、この学校が子どもにとって安心・安全な場所になっているかは、「はい、なっています。」と即答できない現場がほとんどではないでしょうか?同学年の子を同じ空間に一年間閉じ込める構造的問題は、勉強のできるできないや子どもの特性などが原因で自然とスクールカーストを生み出し、子どもは自分が少しでも上に行こう(下にはなりたくない)と考えます。時には自然発生的にいじめも生み出します。これは子どもが悪いのでしょうか?私は仕組みやシステムの問題はもちろん、それらを理解して子ども達と共に対話的にウェルビーイングな居心地のいい空間づくりに尽力できない学校や教師の問題も指摘したいです。

 とにかく、今保護者にとって学校に求められているのは、学力向上でも生きる力でも英語能力でもICT能力でもなく、子どもが安心・安全に学校で過ごせることなのです。

【子ども目線の学校】

 子どもは未熟な存在です。良い悪いの判断が自分自身では感覚では分かっていても、言語化できなかったり行動に移せなかったりします。しかし、子どもは子ども以前に人間です。私は子どもを子ども扱いせず、人として扱う、いや接するべきだと思います。

 怒鳴ったり、タイマーコントロールしたり、理不尽に考えを押し付けたりする先生方は、他者の大人にも同じように接するのでしょうか?答えが否なら、今すぐその指導はやめるべきです。子どもは素直ですから、そのまま受け入れようとします。しかし、その辛さや理不尽さから、次第に自分(個性)を出さず無になり、イライラして当たり散らしたり、陰で意地悪をしたりします。

 多くの家庭では、保護者の方々のご協力もあり、家で子ども達の話を聞いてくださったり受け止めてくださったりしてもらっているかと思います。しかし、そうではないご家庭では、子どもはストレスを内へ内へ溜め込んでいきます。そのはけ口は大抵、学校(対大人、自分より弱い子)です。

 そうなってくると、先生に反抗したり、わざと規則やルールを守らなかったりします。他の子ども達はどうなるかというと、自分に危害が及ばないように立ち振る舞います。自己防衛です。荒れやいじめにも無関心を装います。悪いとはみんな分かっています。でも、そうせざるを得ないのです。自分の身の安全を守るために。

 さて、ここまでにしたのは、誰でしょう?子どもでしょうか?子どもが悪かったのでしょうか?教えるべきことは教えなくてはいけないと、さらに押さえつけるのが正解なのでしょうか?考えるべき、変えるべきは、いつも大人、教師であり学校なのです。

【最後に】

 私は公立学校に通い続けて、学年が上がるにつれて次第に、没個性化する子ども、目の輝きを失っていく子ども、心が荒んでいく子ども、ストレスからイライラしたり意地悪をしたりする子ども、学ぶ意欲を失っていく子ども、自己肯定感・自己有用感の著しく低い子ども、の姿を見るのが苦しくて仕方がありません。

 私は自分なりに現場を少しでも変えようと、先生方とリレーションを図ってきました。特に、私とは考えが違う方とこそ対話をするよう心掛けてきました。しかし、合意形成を図るのは並大抵ではありません。相手がベテランであればある程難しいです。我慢して努力を重ねた小さな合意や折衷案が、どれほどの教育的効果を生んでいるのかも分かりません。

 今私が考えていることは、➀自分が公立学校から去り、私立の学校へ行くか、自分が考える理想の学校を創るべく活動しよう。②現場の先生方も自分の正義のために頑張っているのは確か。もう少し現場で対話に努めよう。迷いに迷っています。これからも、今後の進捗状況をお伝えできればと思います。

 最後の最後に、私の娘が来年度小学校に上がります。正直心配しかありません。今は意欲に満ちています。自分に自信ももっています。目がキラキラとしています。これが小学校6年間+中学校3年間で、どうなってしまうのか?一人の親として心底心配です。

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