学校評価ってありますよね。学校内と家庭に質問紙を配布して、回収後に分析してフィードバックし、改善できることは来年度からの新規学校体制に生かすというものです。質問項目は様々にあると思うのですが、「個性」に関する項目はどの学校にもあると思います。そして予想するに、「個性」に関する評価って低くないですか?「子どもの個性が生かされ、育てられていると思うか。」のような質問内容かと思うのですが、大抵の学校はこの「個性」に評価が付かないのです。でもそう思います。“ああ、個性が生かされてるな~”って実感できる場面って少ないですよね。で結局、評価は低いのに毎年それが生かされない。毎年低評価。結局“仕方ないよね”“難しいよね”で終わるのです。
 
 本当にそれでいいのでしょうか?「個性」については、道徳の価値項目にも「個性伸長」というものがありますし、これからの時代だからこそ大切にしたい価値観です。もし本当に個性を生かしたり育てたりするのが難しいなら、学校評価などの項目に入れて振り返る必要がないでしょう。今回は、この「個性尊重」について考えてみようと思います。

学校や教師こそ「個性尊重」

 私はチャレンジするのが大好きです。チャレンジするためにたくさん勉強できるし、上手くいって子どもが笑顔になったら嬉しいし、失敗してもそこから学ぶことがあるからです。しかし、チャレンジを嫌う学校(管理職?)もあります。なぜかというと、特異な動きをしてほしくないからです。出る杭は打たれるというやつです。学校は組織で動いています。ですから、個人プレーで妙な取り組みをしてもらっては、他の先生方との足並みがそろわないし、保護者からのクレームの対象になるからです。管理職目線で考えれば、理解できなくもないです。
 しかし、これは間違っていると思います。横並びでの取り組みがすべて上手く機能しているなら話は別ですが、大抵そうではありません。誰かが不満をもち、本当はこっちの方がいいよねと感じていることが多いと思います。それを我慢させて教育活動を行わせることは、子どもに嘘を伝えているのと同義です。そのような指導は、絶対子どもには入っていきません。もっと言えば、教師が没個性で子どもの個性が育つはずがありません。

 私はもっと先生こそが「個性」を発揮するべきだと思います。先生方はみな専門をもっています。得意不得意もあります。やりたいこもあるでしょう。それらを存分に発揮できるよう学校が後押しするべきだと思います。例えば、ある先生は体育が得意。だから、体育を学級経営の柱にして子どもの知徳体を伸ばし成長させよう。またある先生は国語が専門。だから、学級文庫を充実させ読書で子どもを鍛えよう。このように、先生がそれぞれの専門性を「個性」として前面に押し出し教育活動を行っていくことで、それこそ十人十色の個性の子ども達に対応できるようになるのでないでしょうか。
 しかし、全部何でもかんでもバラバラに動いていいとも思っていません。揃えるところは揃えればいいのです。学校を挙げて取り組むことで成果を上げられることも間違いなくあります。私は、何から何まで統一する必要はないと言いたいのです。また保護者も、先生方の個性、持ち味、キャラクターがはっきり分かった方が、子どもを任せやすいのではないでしょうか。

子どもの「個性尊重」

 人間誰しもプラスもマイナスもありますよね。子どもの「個性尊重」を考える時、私はその子も良さ(プラス面)を認め伸ばすことだと考えています。つまり、“△△はダメけど、〇〇はいいよね”という、この〇〇の部分です。例えば、“A君は、授業中うるさいけど、みんなを笑わせて明るくしてくれるよね”とか、“Bさんは、大人しくて無口だけど、誰よりもたくさん本を読んでいるよね”とかです。この○○の良さの部分を、もっと大々的に認め励ましていくのです。子ども同士でこの良さを伝え合うようになれば完璧です。そうしていくことで、マイナス面にフォーカスされがちな自身の内面を、プラス面に向かわせることができます。そこから自信がもて、自己肯定感が高められるのだと思います。自己肯定感が高い子どもの家庭から、個性についての不満はまず出てこないでしょう。

 また、保護者の方も、お子さんの良さを理解しておくことが大切かと思います。面談などをすると、お子さんのダメな部分ばかり嘆く方が多くいます。ダメな部分はあって当然です。大人でもあります。まして子どもなんですから、あっていいんです。それよりも、良い部分はどこですか?伸ばしてあげたいところはどこですか?先生方と良い部分こそ共通理解して伸ばしていきたいものです。

これからの時代こそ「個性尊重」

 この急速に変化する激動の社会、AIが発達し機械が自律化する社会において、右に倣えで一様に同じことばかりをする人間は必要とされません。自分では何も考えられず、言われたことをこなすのみ。そのような人間は思考停止状態だからです。つまり、没個性とは思考停止です。これからの社会では、何もないところから課題を見出し、課題解決を繰り返して納得解を導き出せる人間こそ求められます。私が企業の社長なら、勉強はできるが没個性の思考停止人間よりも、自分の武器を自覚しチャレンジ精神溢れる個性的な人間を採用します。今だからこそ、「個性」の大切さをもう一度見つめ直し、しっかりと育てていきたいものです。

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