幼児教育を学んでいくと、この『モンテッソーリ』という言葉に多く出会います。私も言葉と何となくの内容は知っていましたが、幼児教育に注目が集まる今、再度学び直したいと思いました。改めて学んでみると、現在の画一的な公教育の改善に必要な考え方を多く含んでいるように思いました。

モンテッソーリ教育とは

  20世紀初め、イタリアで医師として精神病院で働いていたマリア・モンテッソーリによって考案された教育法です。もともとは、知的障害児への知的水準を向上させるために考案されたものでした。それが、貧困層の健常児を対象とした“子どもの家”という保育施設で、現在のような教育法として完成させていったという経緯があります。つまり、幼児教育の一つというのは後付けであったということです。

  モンテッソーリ教育法は、「子どもの身体的・社会的・情緒的・認知的発達を目指す」ものです。「子どもは、生まれながらにして知ることを強く求めている」という考えに立ち、「支援的な学習環境の中であれば、子どもは自発的に学び始める力をもっている」と捉えています。その環境さえ適切に与えれば、「それぞれが最適な発達のために自発的に行動する」とまで言っています。つまり、子どもは先天的に学ぶ力をもっており、後はどのような環境で学ばせるかということです。

  また、モンテッソーリ教育では、教師は「子どもの要求をくみ取り、自由を保障し、自発的活動を援助する存在に徹する」としており、“教える人”ではなく“援助する人”であるとしています。つまり、子どもの自主活動を援助する人的環境であり、あくまでも学習環境の一部であるのです。

公教育に取り入れたい考え方

 モンテッソーリ教育では、子どもの普遍的で先天的な特徴としてまとめた「人間の傾向」という研究結果があります。いくつか紹介します。

・目的をもって活動する

・コミュニケーションする

・操作する

・繰り返す

・正確さを求める

・秩序を求める

・探検する

・自分でやり遂げる

 これらが様々な発達の段階での、子どもの行動の原動力となっていると言っています。これらを見ていくと、子どもは、先天的に、活動もするし、コミュニケーションもするし、正確にやろうとするし、秩序も守るし、自分でやり遂げようとする、ということです。
 しかし、学校の現場ではどうでしょう?“ちゃんとやりなさい!”“きまりを守りなさい!”“最後までやりなさい!”などという教師の言葉が聞こえてきます。子どもは、先天的にこれらを行う能力を備えているにも関わらずです。どうしてでしょうか?

 ここで、デューイの“どんな子にも必ず知りたい欲求、学びたい欲求、探究への欲求がある。しかし、それが学校に入ったら殺されてしまう”という言葉が頭をよぎります。学校は、画一的で、管理的で、ある意味では、子どもの先天的な欲求や思考、行動を押さえつけている場となっているのではないでしょうか。“やりなさい”も“守りなさい”も、本来であれば教師が言わなければいけない言葉ではないのです。教師がしなければいけないのは、子どもが自発的に動き出す環境づくりと、子どもへの支援、そして見取りではないでしょうか。

 私は、まだまだモンテッソーリ教育をかじったにすぎません。実践も出来ていません。未読の書籍も多くありますし、国際モンテッソーリ協会・日本モンテッソーリ協会で認定資格を取ることもできるそうです。教育関係者なら、実践するしないは置いておいて、知識として、手法の一つとして、身に付けておいて損はないと思いました。さらに、子育てのヒントになる部分もたくさんあったかと思われます。保護者の皆さんも、ぜひ参考にしてほしい教育法だと思います。
 これからも、様々な教育法を学んでいきたいと思います。そして、随時発信していきます。

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