私も2児の親となり、子どもが義務教育課程に進もうとしています。一人の親として、我が子が学校でどう生活を送ってほしいかを考えると、「楽しく」や「友達と仲良く」などが真っ先に思い浮かびます。少なくとも勉強が出来るようにが一番ではありません。このことは、他の親御さんも同様ではないでしょうか?毎日笑顔で元気に学校に通ってくれたら、それでもう満足です。

 しかし、今の一般的な学校は、いじめ、不登校、学級崩壊など様々な問題を抱えているように思います。私は教員ですが、はっきり言って我が子を学校へ預けるのは不安です。どうしてこのようなことになっているのでしょうか?学校は本来どうあるべきなのでしょうか?

学校の諸問題の根本的な原因は?

 私は、今の“社会そのもの”が、学校や子どもに何らかの影響を与えていると考えています。例えば、いじめを考えてみます。いじめは、まず被害者を守ることが第一ですが、加害者をいち早く救うことも大切です。加害者を取り巻く環境が、その子に悪影響を与えているからです。一番影響を与えるのが、家庭環境でしょう。親が笑顔で過ごし、温かさと、豊かで寛い心をもって子どもと関わっているならば、その子どもは学校でいじめをすることはないでしょう。また学校の教師も同様です。教師が笑顔で過ごし、温かさと、豊かで寛い心をもって子どもを受け止めることができれば、いじめは未然に防げたのかもしれません。その他多くの学校の問題も、同じように考えることができると思います。
 では、なぜ親や教師、つまり大人たちは、笑顔を無くし、温かさを無くし、豊かで寛い心をなくしてしまったのでしょう?それは、世の中が辛く、厳しく、どこかぎすぎすとした雰囲気となっているからだと思います。“社会そのもの”が疲弊しきってしまっているのです。“学校は社会の縮図である”とよく言われます。世の中の雰囲気がその時代の「社会」をつくり、その社会が「大人」の心をコントロールし、その大人たちが「子ども」の心に大きく影響を与えるのだと思います。つまり、学校の諸問題の根本的な原因は、社会そのものが病んでいるからに他なりません。そして、みな心にゆとりがないのです。

学校の本来のあるべき姿

 学校に求められているのは何でしょう?先ほど親の心理にも触れましたが、一番は子どもが笑顔で元気に通えることではないでしょうか。子ども達一人一人が、「ここにいてもいいと思える」「ここにいて嬉しいと思える」「安心してここにいられる」ことが最も大切なのではないでしょうか。そのような信頼や承認、安心が成立し、その中だからこそ学べる、その中で学ぶからこそ育つ、こういった考えに立ち戻る必要があるように思います。
 学校には、多くの「すべきこと」があります。授業、学級・学年経営、校務分掌、生徒指導など、挙げればきりがありません。これらのすべきことが「こうであらねばならない」という強制めいたものであると、教師は締め上げられているような窮屈感を感じてしまいます。このような状態だと、心にゆとりがなく、前述したような笑顔を無くした大人になってしまいます。組織を大切にしながらも個々を尊重し、お互いがお陰様で助け合い、「こうである方がいいよね」くらいでいる方が心にゆとりができます。まさに“学校は社会の縮図”。学校という社会も、みなが笑顔で過ごすことができ、温かさと、豊かで寛い心をもって過ごすことができるように変えていかねばなりません。

ウェル・ビーイング

 『ウェル・ビーイング(well-being)』という言葉をご存知でしょうか?身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念で、『良好性状態』とか『幸福』などと訳されます。つまり、何となく“いいなぁ”と感じられる状態です。このウェル・ビーイングに着目することで、モチベーションアップや生産性の向上につなげようと改善を図る企業が増えているようです。
 学校もウェル・ビーイングを大切にし、ウェル・ビーイングの上に校務や他者との関わりを築いていくべきです。そして、教師も子どもも“いいなぁ”と感じられる環境にしていきたいものです。

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