ほとんどの場合、『宿題はなくてもいい』と私は思っています。これまでの小学校勤務経験上で、ですが。なぜなら、ほぼほぼ先生からの『押し付け宿題』だからです。出されたからやるのが当たり前、という理屈で行われています。これで、本当にねらっている効果が得られ、また意味のある活動になっているのでしょうか?

何のための宿題か?

 宿題を行うねらい、目的は、大きく3つあると思っています。

➀授業の補強(いわゆる予習・復習)   ②家庭学習の習慣化   ③自己学習力の習得  

 押し付け宿題で、百歩譲って得られるのは➀だけです。それで十分じゃないか、と言われそうですが、宿題を行う一番のねらいは③だと思っています。そして、押し付け宿題は、その③から逆行する行為だと思います。益々自分で考えて、自分で判断して、学習に向かうことをしなくなる行為だと思います。まさに負の強化です。

主体的な学習者になるために

 もし私たちが、何か資格を取るとか、検定を受けるとか、試験を受けるなどと決めた時、どうするでしょうか?まずは検定日や試験日がいつなのか確認し、その日までに何を学ばなければいけないか調べると思います。そして、自分にぴったり合うテキストのようなものを入手し、毎日何ページずつやろうと計画を立てるでしょう。苦手なところがあれば、出来るまで重点的に反復するでしょう。あとは歯を食いしばって妥協せずに継続して取り組むだけです。

 このようなことが、子ども達にも自分で出来るようになってほしい、つまり『主体的な学習者になってほしい』というのが一番のねらいであると思います。それが③の『自己学習力の習得』です。
 では、宿題制度をどうすればいいのでしょうか?

どのような宿題制度にするべきか?

 まずは、先生や親が一方的に“させる”宿題はやめるべきです。理由は先に述べました。
 次に、子どもにも大きなめあてをありのままに伝えることです。それはつまり、『宿題は自己学習力を身に付けるために行うよ。自分で進んで学びに向かえる人になろう。』と伝えることです。その上で、『そのために“次のテストで100点を取る”とか、“自分の苦手を無くす”などという小さなめあてを毎日の宿題で自分で立てるといいよ。』と伝えることです。

 『けテぶれ宿題革命』(著:葛原祥太 学陽書房)という書籍でも詳しく述べられています。

けテぶれ宿題革命

け(計画)→テ(テスト)→ぶ(分析)→れ(練習)というPDCAサイクルを自分でまわすことを提唱しています。宿題に関して悩んでいたり疑問をもっていたりする教師や保護者の方々は、一読しても損はないと思います。

宿題についての大人の関わり方

 自己学習力を身に付けようとすると、必ず“サボる自分”と向き合うことになります。まだ子どもなので当然と言えば当然で、安きに流れるのが子どもです。
 そんな時に、子どもの身近な人的環境である教師や親が適切に関わることが大切だと思います。全くの無関心・放任では、やはり子どもはサボるでしょう。逆に、常にギチギチに監視している状態では、一番ねらいたい子どもの主体性が失われてしまいます。私は『適度な距離感』がいいと思っています。

『ちゃんと見てるよ。ちゃんと知ってるよ。ずっと応援してるよ。いつでも何でも聞いてね。でも決めるのも、やるのもあなたね。サボるのもあなたね。でも私は信じてるよ。』

 このような絶妙な距離感でいて、いつもにこにこ笑顔でゆとりがあって、どんと構えて受け止めて、信じて待ち続ける。そんな人的環境でいてあげると、子どもは安心して前進し続けられるように思います。子どもの心情で考えると、

『押し付けてこないし、やった時はちゃんと認めてくれる。自分に負けてサボった自分も受け止めてくれて、それでもできるって信じてくれている。もう少し頑張ってみようかな。』

このような感じでしょうか。また、必ずしもサボる自分が悪いわけではありません。子ども時代に、簡単に自分に負けてしまう弱さを知ることは大切です。このままでは駄目だと自分で気付くことも大切です。さらに、それを乗り越える経験もとても意義のあることです。

 教師も親も、宿題というものの在り方を今一度問い直してみてほしいと思います。宿題がお子さんにとって、主体的に取り組めているものでないのだとしたら、それは早急に改善するべきだと思います。

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