子どもが何か課題を抱えていたとして、大人がその課題に対して一方的に指導しても子どもにあまり響かないことがあります。それは、子ども自身がその課題に正対して向き合っていないからです。
 いつかは分かりませんが、子どもがその課題に向き合った瞬間を逃さずに指導することが大切です。つまり、子どもをよく観察し、タイミングを見て適切に指導することです。

啐啄同時の話

 『啐啄同時(そったくどうじ)』

という言葉をご存知でしょうか。禅語の一つで、意味は次の通りです。

『機が熟して悟りを開こうとしている弟子に、師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くこと。』

 語源も紹介しておきます。鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを『啐』と言います。そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破る、これを『啄』と言います。そして、これら『啐』と『啄』が同時であってはじめて、殻が破れて、無事に雛が産まれることができます。これが『啐啄同時』の語源です。
 どちらが欠けても成果は生まれません。まるで、課題を抱えた子どもとそれを指導する大人の関係そのままです。では、啐啄同時の指導は、どうすればできるのでしょうか?

ある杜氏(とうじ)の話

 以前、NHKの「プロフェッショナル」で取り上げられた、齋彌酒造店(秋田県由利本荘市)の杜氏(とうじ)、高橋藤一さん(73)は、一般的に日本酒の醸造で行われる“発酵を進めるためのかき混ぜる作業”をやめたそうです。理由は、「酒は自然からの授かりもので、人も酒もバランスが崩れれば、調子が狂う。無理してこちらのペースで仕込んでも無理をした味になる。杜氏(とうじ)の仕事は、ただ見守ること。」と考えたからでした。酒蔵の横で寝起きしながら、酒蔵の中の麹の音(声)を聴き、一番いいタイミングで最小限の手だけ加えるのだそうです。さらに、「酒造りの課題は尽きることがない」と言い、挑戦し続ける精神をもって今も尚理想を追い求めていると言います。
 この話の『酒』を『子ども』に置き換えて考えてみると、ヒントになることが隠されているように思います。

教育は観察とタイミングである

 まとめたいと思います。齋彌酒造店の杜氏の話を念頭に置き、教育における啐啄同時の神髄を考えると、次のようになるのではないでしょうか。                   

➀子どもは成長できる要素をすでに自らの中にもっている。
②大人は子どもをよく観察し、見守り、待つこと。
③子どもが課題に正対し、向き合ったタイミングを逃さないこと。
④一番いいタイミングで最小限の手を掛けること。
 

 ④の『最小限の手を掛ける』で、どのような手の掛け方がいいのかは、子どもによって、また大人によって異なってくるでしょう。それこそ十人十色の子どもに対応するためには、無数の引き出しが必要となると思います。

 学校生活や家庭生活での中で、子どもをよく観察し、課題を見極め、どのように克服させればいいのかを模索しつつも、大人の都合やタイミングではなく子どもの一番いいタイミングで最小限の関わりをすること。そんな“積極的な待ちの姿勢”が、我々大人には大切なのだと思います。

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