勤務校のオープンスクール(学校公開)の日にあった出来事です。みなさんはどう思うでしょう。

『私は空き時間だったので職員室で仕事をしていました。すると、急に職員室のドアがガラッと開きました。そして、「先生、4年1組の蛍光灯が切れてます。」とある保護者が言ってきました。「あ、分かりました。わざわざありがとうございます。」と私を含め先生方。4年1組の担任の先生が困っていたから、その保護者が伝令に来てくださったのかと思いました。授業中でしたが、私は脚立と新品の蛍光灯をもってそのクラスへ行きました。するとなんのことはない。我が子の席の上の蛍光灯が消えていたからすぐに取り換えてほしいと考え、なんと独断で職員室に来ていたのでした。』

 私は、ため息しかでませんでした。確かに、蛍光灯が切れた状態で字を書かせたくない気持ちは分かります。しかし、これは予測できないことですし、この時は授業中ですし、担任も身動きが取れなかったのでしょう。授業後まで待つとか、そっと担任や他の先生に相談するとか、状況を考えて行動の仕方はいくらでも選択できたはずです。
 自分さえよければ良いという利己的な考えが、私にはどうしても見て取れてしまいます。そして、このように感じることが、最近多くなってきました。私の杞憂でしょうか?

利己主義の充満

 先日Twitterでも利己主義の充満を感じることがありました。

 『保育中に、子ども達がすべり台を逆上りするのは、OKかNGか?』というアンケート。

 私は、即答でNGです。逆上りの身体的な効果効能の問題でも、安全面の問題でもありません。“公共のものだから”です。もちろん、私も子どもにさせたい運動です。しかし、保育園にある公共のすべり台で、他の子どももいて、もともとのルールがあるのです。きっとケンカが起こったりケガ人が出たりと混乱するでしょう。

 しかし驚いたことに、このOKかNGかのアンケートの結果は、まだ途中経過でしたが、約300人の保護者が回答し、『OK:NG=56:44』でした。その理由も“子どもにさせたい運動だから”“子どもがやってみたいと思うから”“上から滑るというルールは大人が決めたルールだから”など、なんとも利己的な理由が大半でした。

公と私のバランス

 もちろん利己主義が完全に悪だとも思いません。自分を一番に考え表現することは大切なことです。スポーツでも商業でも、日本人はこれが弱いと言われてきました。時にはエゴイストになることも、生きていく中では必要になることもあるでしょう。

 しかし、公と私を両輪として、そのバランスが大切です。決して公を蔑ろにしてはいけません。なぜなら、公というのは自分もそこに含まれているからです。つまり、理不尽な利己主義的な振舞いのせいで、その害が自分に降りかかってくることが絶対にあります。そんな時、きっと利己主義的な人こそ怒るでしょう。しかし、考えてみれば、自分自身もそのように振舞ってきたのです。自業自得、エゴは人の為ならず、巡り巡って自分に害を及ぼすのです。

 公が良い環境でなくてはなりません。誰も一人で生きているのではありません。『お陰様で』の精神をもう一度思い出して生活していきたいものです。
 そして、子ども達はそのような環境でこそ公を学び、徳を身に付けていきます。子どものことを一番に考えるのであれば、公と私、両方の視点から物事を捉え、適切な対応をしていきたいものです。

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