子どもから「どうして学校に行かないといけないの?」を聞かれて、答えに困ったという保護者の方は意外に多いです。また、ネットやSNSなどでも、そのような悩み相談をしているのを見かけます。「自分の好きな仕事につくため」とか「友達の大切さを知るため」とか「知らないことを知る喜びを学ぶため」などと、大人の綺麗ごとを言うだけでは、子どもは納得しないものです。

 これは、素朴ですが素直で直球で、子どもにとったら切実な問題だと思います。親や教師は、子どもと最も距離の近い人です。ですから、親も教師も『どうして学校に行かなきゃいけないのか論』の確固たる持論をもっておくべきだと思います。これは一人一人違っていていいと思います。心から自分でそう信じているかです。信じている言葉には説得力がありますから。

私が考える『どうして学校に行かなきゃいけないのか論』

  私の持論を紹介します。大きく2つの柱があります。一つ目が回答、二つ目が方法です。あくまで持論です。もちろんこれがすべてではありませんし、私も学び続けることで後に考えが変わってくるかもしれません。

➀『人は学び続けなくてはいけない』・・・
今の自分をふり返らせて、「これから学んだ方がいいか、学ばなくていいか」と尋ねたら、冷静に考えて答えれば確実に「学んだ方がいい」と答えるでしょう。今の自分に満足している人は、まずいません。子どもなら尚更です。以前のテーマ「学校の目的」にも書きましたが、生涯にわたって学び続けられること(生涯学習)が大切です。そのために学校はあります。人は食べていかなくては生きていけません。食べるためには稼がなくてはいけません。稼ぐためには働かなくてはいけません。働き方は様々です。しかし、どのような働き方を選択するにせよ、学ぶしか方法はありません。このことは、子どもでも直感的に理解できるはずです。

②『よりよく学ぶための、学ぶ場所や学び方は選択できる』・・・
もし、一人でよりよく学び続けられるなら、必ずしも学校へ行く必要はないと思います。つまり、自立している子ならです。しかし、大抵はそれができないから学校へ行くことになります。勘違いしがちなことは、今の学校(今通っている学校、もしくは通うことになっている学校)へ行く必要はありません。よりよく学ぶための場所や学び方は選択できます。本来は、子どもが「ここで学びたい」と自分で決めるべきだと思います。ですから、本当に学校に行くことに疑問を感じるのであれば、一人で学んでいくことも含めて、「学び続けること」を親子が一緒に考えることが第一歩だと思います。

一緒に考える、学び続ける

 先にも述べましたが、最も大切なことは、親や教師が子どもと一緒に考えることだと思います。おかしい、疑問だ、なぜだ、と思ったら、まず考え、調べ、相談することです。決して惰性で過ごさないことです。それでは、思考停止、奴隷と同じです。「どうして学校に行かなきゃいけないの?」ということを感じたこと自体、私は良いことだと思います。少なくとも思考停止で生きてはいない。学校の必要性を実感できず、疑問を感じたのです。そしたら、まず自分で考え、調べ、一緒に考えればいいのです。そして自分の中での「だからか!」を見付け、「よし!」と前向きに生きられるようにしていけばいいのです。
 親や教師が一緒に考える手助けを求められた時に、自分で思ってもいないような、取って付けた綺麗ごとは聞かせたくないです。まずは、大人である我々が考え、調べ、相談し、確固たる持論を持ち合わせたい。そして、子どもと一緒に考えていきたいです。

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