学校で、急に大きな声を出す子、離席して立ち歩く子、指示が通らない子、乱暴な子、登校を渋る子など、最近は特に増えてきたなと感じます。発達障害や、いわゆるグレーゾーンとその子を捉えることも多いです。
 しかし、私が真っ先に感じるのは、家庭での“親の愛情が足りていないんだな”ということです。

 なぜそのように感じるのかというと、こう思うようになった出来事というか、経験が私にはあるからです。今回はそのことを含め、親の愛情の大切さをお伝え出来たらなと思います。

発達障害が原因か?

 以前の勤務校で、ADHDと診断されていた男の子がいました。その男の子は、特別支援教室適と判断されていましたが、保護者の強い要望で通常級に所属していました。
 しかし、教室には入れず、授業も受けられず、好き勝手に校庭で駆けまわっていました。ですから、1年生から4年生まで、ずっと支援員の方が一日中付きっきりでした。

 5年生になったその男の子を私が担任することになった時、私はその支援員の方に「なんとかこの子を教室に入れたいです。」と相談しました。するとその支援員の方は「ありがとうございます。出来ると思います。」と答えてくださいました。そして、『愛着障害』という本を私に勧めてくださいました。

愛着障害

 なぜこの本を勧めたかと言うと、その支援員の方が言うには、「その子はADHDではなく愛着障害ではないかと思っている。」ということからでした。その本には、発達障害と診断する難しさやグレーな部分が非常に多いこと、発達障害と愛着障害の症状が類似していることなどが書かれていました。

愛着障害である可能性は?

 この男の子は、親から(特に父親)“お前は生きる価値がない”などの言葉を日常的に言われ、自己肯定感が著しく低い状況にありました。さらに、厳粛な場面では空気を読んでそれに応じた態度をとることが出来ました。もし本当にADHDの子であれば、いかなる場面でも衝動性を抑えるのは難しいはずです。

 まず私は、しっかりとその子の話を聞き、気持ちを受け止めるよう努めました。そして、最初は10分は座っていよう、次は課題ができるまで、その次は1時間、その次は国語と算数の時間などと、スモールステップで少しずつ教室にいる時間や出来ることを増やしていきました。約束が守れたら、思いきり褒めて励ますことにしていました。最終的には、その男の子は終日教室で自席に座り、すべての授業を受けられるようになりました。

 この経験から、私は何でもかんでも発達障害を理由に“この子は出来ない”と決めつけることに疑問をもつようになりました。ひょっとして、単に愛情が足りていないだけで、もっと見てあげて、もっと聞いてあげて、もっと受け止めてあげて、もっと認めてあげれば、出来るようになることは増えるのではないかと考えるようになりました。

親の愛情というエネルギー

 そもそも親の愛情には、想像以上に大きな力があると思います。

 例えば、母親の手は“魔法の手”と呼ばれるほど癒し効果が認められています。肌と肌が触れ合うだけで、愛情ホルモンと言われている『オキシトシン』が分泌され、情緒を安定させる効果があることは科学的に証明されています。昔から伝わる“痛いの痛いの飛んでいけ”は、確かに痛みが和らぐのです。抱っこやハグも同様な効果が期待されています。

 また、親からしっかりと愛情が注がれている子は、見て見てアピールする必要がなく落ち着いていられますし、安心して親元を離れられるといいます。
 『マズローの欲求5段階説』をご存知でしょうか?低次元の欲求が満たされて、初めて上位欲求へと向かうというものです。

『マズローの欲求5段階説』 

(高次元)

  5.自己実現欲求
  4.承認欲求
  3.社会的欲求
  2.安全欲求
  1.生理的欲求    

(低次元)

 低次元の生理的欲求と安全欲求は、生きていく上で欠かせないものです。ですから求めて当然ですよね。その次の欲求である社会的欲求は、『所属と愛情の欲求』とも言われています。つまり、“自分はここにいて良い存在だ。自分は愛されている。”と実感できなければ、それより高次元のことは求められないということです。ここが不足していると、この所属と愛情を求めて、子ども達は大きな声を出したり、離席したり、登校を渋ったりする可能性があると言えます。

 今の子ども達を見ていると、あたかも“もっと見て!もっと聞いて!もっと受け止めて!”と言わんばかりです。教師ももちろん、全力で子ども達と真摯に向き合うべきです。しかし、親と同等の存在にはなれません。
 しっかりとお子さんと関わって、抱きしめるくらい受け止めて、たっぷりの愛情を注いであげてほしいと思います。そうすれば、家庭以外の子どもの姿もきっと変わってくると、私は考えています。

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