この記事を書いている今日は、1月7日(火)です。そうです、睦月七日は『七草粥』の日です。皆さん食べましたか?
春の七草 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草 |
これは『春の七草』という詩です。小学校の国語の教科書にも載っています。子ども達で読み合って、暗唱する子もいました。学校でのこのような活動は、昔から伝わる『春の七草』を子ども達に伝えている、伝統や文化を伝承しているとも言えるでしょう。
では、この日、実際に『七草粥』を食べている家庭がどのくらいあるのでしょうか?
● 伝統や文化を学ぶことの意義・目的
私は、日本の伝統や文化をもっと子ども達に伝えていくべきだと考えています。理由は主に2点あります。
➀豊かな感性や心の育成・・・
昔から伝わるものには、昔の人々の知恵や工夫、感性、考え方など、様々なものが詰まっています。今を生きているだけでは気付けなかったようなことも知ることが出来ます。それらは豊かな感性や心の育成に大いに貢献してくれると思います。
②日本人としてのアイデンティティ・・・
国際化が進む今だからこそ、日本人としての感性をもっていたいものです。例えば、童謡『虫の声』の歌詞にあるように、昔から日本人は、秋の夜に松虫や鈴虫が鳴いていたら“ああ、美しい音色だなあ”と感じるのです。これを一部の外国ではうるさい害虫と捉えるのだと聞いたことがあります。
公教育でも、様々な教科や行事で伝統や文化に関する教育は行っているところが多いと思います。各家庭にも学校便りや学級通信などで、情報を発信していることでしょう。
学校と家庭と地域とが協力して、日本の伝統や文化を子ども達に伝承していく取り組みがなされていると思います。
しかし、最近それが弱くなってきていると感じています。
● アウトプットしないインプット
書き出しでも触れましたが、1月7日に七草粥を食べている家庭がどのくらいあったのでしょう?実際に食べることで「“すずな”はかぶ、“すずしろ”は大根。」と知ることが出来たり、お正月での暴飲暴食によって疲れた胃を休ませるのだ(私の母がよく言っていました)という知恵を学ぶことができたりします。
他にもあります。例えば、同じお正月の恒例行事で、『年賀状』があります。学校でも書写の時間に年賀状の書き方は教えています。ですが、子どもに年賀状を書かない教師が多くいます。なぜ教師は子どもに年賀状を送らないのでしょうか?働き方改革だからと言って、教師間の年賀状も出さないようにさせる学校もあるくらいです。
伝統や文化を伝承すべき学校の教師達が、率先して伝統や文化を無くしていっているのです。これはもう改革するところを間違えていると思います。とても残念に思います。
つまり、せっかく子ども達が学校で知識をインプットしても、実際にそれに触れずに終わってしまい、実感を伴った学びになっていないことが多くなっていないかと私は危惧しているのです。アウトプットを伴わないインプット、活用しない習得では、本当に伝統や文化を伝承したとは言えないように感じています。
● 伝統や文化を大切に扱っていきたい
正月には、御節料理や年賀状、書初め、鏡開き。
2月には、節分、豆まき、恵方巻。
3月には、桃の節句、春のお彼岸。
4月には、お花見、入学式や新学年。
5月には、端午の節句、八十八夜。
6月には、梅雨、夏至。
7月には、七夕、暑中見舞い。
8月には、お盆、お中元、残暑見舞い。
9月には、お月見、十五夜、秋のお彼岸。
10月には、運動と読書。
11月には、紅葉狩り、七五三。
12月には、お歳暮、冬至、大掃除、年越しそば、大晦日。
ほんの一部ですが、まとめてみました。これらは昔から日本に伝わるものです。日本人であれば、聞いたことがないものはないでしょう。しかし、これらは“昔はやったけど、今はもうやっていない”などと軽視されている傾向にあると思います。よほど、クリスマスやハロウィーンのような海外からきた商業戦略的行事のほうが重要視されていると言えます。
私は、教師として、子どもをもつ親として、このような伝統や文化を大切に扱いたいと思っています。なぜ行われているのか、どのような意味や願いがあるのか、やってみるとどう感じたかなど、しっかりと子ども達に伝えていきたいと思います。
そして、昔の人々から知恵を学び、心豊かに、日本を愛することができる人を育てていきたい、私はそんな大人でいたいと思います。
