昨夜(9月26日)『カンブリア宮殿』(テレビ東京)で、千代田区立麹町中学校長工藤勇一先生の特集が放映された、らしいですね。残念ながら私は見られなかったのですが、教育界に一石を投じた工藤先生の著書『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)は拝読していました。その書籍の表紙にも書いてあるように、「宿題廃止、クラス担任廃止、中間・期末テスト廃止」といった学校の「当たり前」をことごとく変えている方です。

子ども第一主義

 その背景には、工藤先生の「子ども第一主義」があると思います。まず考えるのは、「それは何のために行っているのか?」です。その「何のため」の中には、「子どもの学力向上のため」「子どもの自主・自立を育てるため」「子どもの安全・安心を守るため」などといった、「すべて子どものため」が念頭にあります。
 通常の学校も当然考えている、と反論を受けると思いますが、よくよく考えていくと、多くのことは「教師が指導しやすいから」「これまでもそうだったから」「(一部の)子どもに力が付いたから」「(教師が)教えなくてはいけないものだから」などに行きつくことが往々にしてあると思います。

目的と手段

  さらに、目的と手段をきっぱり区分けして考えています。「この行事や活動を行う目的は何なのか?」を徹底的に追究していきます。例えば、廃止になった宿題。「宿題を行う目的は何なのか?」と問われると、学力向上、学力定着、自主学習の励行、家庭学習の習慣化などと答えるでしょう。その時、工藤先生はきっとこう問い返すと思います。「それ本当にできてる?」「一人一人の子がみんなできてる?」そう言われると、自信がなくなってきますよね。でも、「力が付いている子はいます。」「習慣化されている子もいます。」「させなきゃいけないことです。」「保護者が不安がります。」などと説得するでしょう。しかし、「でも強制されて、ますます勉強嫌いを助長されている子もいるよね?」「自主・自立の精神を阻害しているかもしれないよね?」などと議論されていくでしょう。

 ここで考えたいのは、学力向上、学力定着、自主学習の励行、家庭学習の習慣化が『目的』なら、宿題という『手段』じゃなくてもできるんじゃないの?ということです。学校は、宿題をさせることが目的ではなく、ここではあくまで学力向上、学力定着、自主学習の励行、家庭学習の習慣化が目的であり、宿題はそのための手段の一つにすぎません。これまで行ってきた宿題というやり方以外に、この本来の目的を達成させられる手段は他にないのか、ということです。

学校の「当たり前」を問い直す

 宿題以外にも多くのことを改善されています。改めてこのように考えてみると、今行っている学校での営みの中で、本来の目的からズレてしまっていることはたくさんあるように感じます。特に「それは目的か手段か」は、常に考えていきたいことですね。
 学校の「当たり前」を問い直すことは、すべての学校で行ってほしいことです。問い直した結果、これまで通りが最も良いとなれば、それはそれでこれまでの教育活動により胸を張れます。問い直しには学校長のリーダーシップは必要ですが、トップダウンでは絶対にうまくいきません。学校長を中心に、全教職員、時には児童・生徒、保護者も巻き込んで考えていくことが必要だと思います。学校が、より「子どもたちのための学校」となっていくよう願っていますし、今後の教育界の変革に注目していきたいです。

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