『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(著:ヤニス・バルファキス 訳:関美和 ダイヤモンド社)
『仕事は楽しいかね?』(著:デイル・ドーテン 訳:野津智子 きこ書房)
本当は、一つのコンテンツに一冊がいいと思いながらも、二冊載せてしまいました。当初は『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』が、とても分かりやすく経済について書かれていたので、この一冊をまとめようと考えていました。しかし読了してみて、以前に読んでいた『仕事は楽しいかね?』との共通点に気が付き、こちらも併せてまとめることにしました。どちらも読みやすいの、中学生・高校生にもおすすめです。
●辿り着くのは“おカネのため”ではなく“世のため、人のため”
まずは、『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』の中で、特に心が動いたところを抜粋しようと思います。
・すべては「余剰」から始まった。農作物の余剰によって、文字が生まれ、債務と通貨と国家が生まれた。それらによる経済からテクノロジーと軍隊が生まれた。(第1章P37)
・交換価値が経験価値を打ち負かし、「市場のある社会」が「市場社会」に変わったことで、何かが起きた。おカネが手段から目的になったのだ。…人間が、利益を追求するようになったからだ。(第2章P71)
・(ルソーの鹿狩りの寓話の後に)うさぎより鹿を狩る方がいいとわかっていても、結局うさぎを獲ることになってしまうこともある。…労働市場は労働力の交換価値だけで動くものではない。経済全体の先行きに対する楽観と悲観に左右されるのだ。(第5章P129)
・われわれ人間は、テクノロジーの可能性を余すところなく利用する一方で、人生や人間らしさを破壊せず、ひと握りの人たちの奴隷になることもない社会を実現すべきだ。…機械を共同所有することで、機械が生み出す富をすべての人に分配した方がいい。…ほかに道はない。(第6章P168)
・もし人間と地球を救う望みが少しでもあるとすれば、市場社会では認められない経験価値をもう一度尊重できるような社会にするしかない。(第8章P212)
・満足と不満の両方がなければ、本物の幸福を得ることはできない。満足によって奴隷になるよりも、われわれには不満になる自由が必要なのだ。(エピローグP231)
ほんの一部ですがまとめてみました。要は利益を追求しすぎると必ず経済は破綻するようにできている。人間らしさを大切にしつつも強欲になりすぎず、富が人々に分配される仕組みを生み出せば自然と経済は活性化する。また、誰もが経済についてしっかり自分の意見を言えることが、真の民主主義の前提。そのように私は解釈し、学ばせていただきました。
ここに、『仕事は楽しいかね?』の観点も入れてみようと思います。すでに長くなりすぎているので要約しますと、『利益を追求しようとするから無理が生じ思い悩む。仕事とは困っている人、必要としている人のために、自分が何ができるかを考えそれを提供することだ。だから、常にそのアンテナを張っておくことだ。困り感・必要感のヒントは、みな同じようにチャンスを与えられているはず。それに気付き、実行できるかが大切だ。』こんな感じだったと思います。様々な成功者(例えば、リーバイス創業者、リーバイ・ストラウスの話が印象的)を例に、分かりやすく話が展開されています。
共通していることは、経済とは、仕事とは、“世のため、人のため”が基本なのだということです。そして、自分の意見として経済を語れることです。これらを忘れ、右に倣えで利益追求の走れば巡り巡って経済破綻が待っています。
● 子どものうちから経済や仕事についてもっと考えさせ触れさせるべき
以前のテーマでも述べましたが、子どもにも経済を学ばせる意義は大きいと考えています。いずれは社会にでて仕事をするからです。社会に出てから経済を学んでは遅いと思います。社会に出る前の準備段階が学校なはずです。しかし、少なくとも今の公教育のカリキュラムだけでは、経済については、公民の授業の一部で微々たる使えない知識を暗記させて終わっているのではないでしょうか。言われたことをやる、知識を詰め込む、いい学校に入るために学ぶ、というこれらの現実を変えないと、現在の実社会では生き抜いていけません。急に社会に出て、やれノルマだ、他社競争だとあおられれば、当然経済や仕事の本質を見失い、おカネに生かされおカネに殺される人生を歩まざるを得なくなるでしょう。これでは世の中は変わっていけません。
しかし、今は良くも悪くもネット社会です。中学生・高校生でもネットを使って稼ぐことができる時代です。「良くも」と言ったのは、学校で教えてくれないことを自分で学び、実行することができるからです。「悪くも」と言ったのは、ネット社会の功罪を含めたメディア・リテラシーや道徳観を十分に育てられていないまま使用している可能性があるからです。二宮尊徳の言葉に“道徳を忘れた経済は、罪悪である。経済を忘れた道徳は寝言である。”というものがあります。学校も家庭も、子どもを取り巻く環境の一部である我々大人たちは、このことをよく理解すべきです。
学校は、多忙です。上からやらなければならないことが降ってきています。ここに、さらに「子どもたちに経済の学びを!」と声高らかに叫ぶことは正直できません。しかし、教師や保護者の皆さんが、この観点をもって子ども達と関わっていくことはできます。何かの折に話をする、仕事を考える、経済を考える、将来を考える、これらを子どもと一緒に考えていくことができれば、少しずつ子ども達も体得し、いずれ自分の経済学をもてるようになっていくのではないでしょうか。