『ケーキの切れない非行少年たち』(著:宮口幸治 新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち

 著者の宮口氏は、児童精神科医として多くの非行少年と出会う中で、「反省以前の子ども」がたくさんいる事実に気付きます。
 発達障害や知的障害をもった子どもたちは本来、適切な支援を受け、大切に守り育てなければならない存在です。それなのに実際は、加害者となって被害者を世の中に作り出し、矯正施設に入れられてしまうことが多々あります。これは、まさに『教育の敗北』と言っていい状況です。
 宮口氏はその後、“最悪の結末とも考えられる施設”に行けば、何かヒントが見つかるかもしれないと、精神科病院を辞めて医療少年院に赴任することになります。そこでの苦悩と挑戦、また具体的な解決方法などが本書には書かれています。

 教員をしていれば、必ず何かしら特別な支援を要する児童と関わることになります。その時の支援は適切なのか?関わり方に間違いはないのか?具体的な改善方法はないのか?など、頭を悩ませた経験が私にもあります。多くを学ぶことができた一冊です。

非行少年たちの実態

 本書では、重大犯罪を犯してしまった非行少年たちについて、その実態が具体的に書かれています。その一部を抜粋的に紹介します。

・非行少年の特徴は、5点セット+1であることが多い。
「認知機能の弱さ」「感情統制の弱さ」「融通の利かなさ」「不適切な自己評価」「対人スキルの乏しさ」+「身体的不器用さ」

・非行少年の多くは、正しく認知できていない。ケーキを正しく〇等分することができない。図形を正しく描き写すことができない。すべてが歪んで見えている。

・非行少年の多くは、自己評価が不適切である。殺人を犯した子でさえ、自分は優しいと言う。なぜ彼らは適切な自己評価ができないのか?それは、適切な自己評価は他者との適切な関係性の中でのみ育つからであり、彼らは、他者と適切な関係を築くのが苦手なのである。

・非行少年の多くは、反省以前の問題である。適切に反省できないのである。そのような子が、これまでどれだけ多くの挫折を経験してきたことか。そしてこの社会がどれだけ生きにくかったか。さらに問題なのは、そういった子に対して、学校では気付かれず特別な配慮がなされてこなかったことである。

・感情が人間のほとんどの行動を支配していると言っても過言ではない。非行少年たちが厄介なのは、「ストレス発散に、〇〇したい」という〇〇に不適切なものが入ること。

・実は非行少年たちは、学ぶことに飢えている。認められることに飢えている。やり方次第で、いくらでも変わる可能性がある。

 重大犯罪を犯してしまう少年たちは、手の付けられないワルかと想像していましたが、いたって普通の少年という印象をもちました。ただ、認知能力や対人能力などに著しいハンデをもっているということだけです。
 しかし、実際にこういった子ども達が学校という公教育で救われず、さらに心に傷を負い、世の中から見捨てられ、仕方なく犯罪に手を染めてしまっている事実を知ることが出来ました。

学校への提言

 また宮口氏は、現在の学校教育に多くの課題があると言い、改善すべき点を具体的に提言しています。まとめます。

・小学校の低学年からサインを出し始めるので、そのサインを見逃さず支援していなねばならない。小中学校で先生が障害に気付いてくれて、熱心に勉強へ指導をしてくれていたら非行化しなかっただろうし、被害者も生まれてこなかった。

・“苦手なことをそれ以上させない”というのは、とても恐ろしいこと。「本人が苦痛だから」という理由で苦手に向かわせていないとしたら、子どもの可能性を潰していることになる。

・課題のある子に対して、「褒める」「よく話を聞く」のは、その場を取り繕うにはいいが、長い目で見た場合、根本的解決になっていない。課題を先送りにしているだけであり、社会へ出ていったら、褒めてくれる人も話をよく聞いてくれる人もいなくなるので、見捨てられる。

・よく「自尊感情が低い」と言うが、これは理由にならない。自尊感情が低くても社会人として何とか生活できなくてはならない。問題なのは自尊感情が低いことではなく、自尊感情が実情と乖離していること。それに目を背けてはならない。

・子どもへの支援は大きく分けて3つ。学習面、身体面、社会面である。一番重要な社会面の系統だった教育が学校ではなされていない。“対人スキル”“感情コントロール”“対人マナー”“問題解決”これらが学べないと非行化のリスクは高まる。

・今の学校では、学習の土台となる基礎的な認知能力をアセスメントして、そこに弱さがある児童にはトレーニングさせるといった系統的な支援がない。ゆえに、できないと晒され、ついていけなくなり、勉強ギライになり、自信喪失怠学に結び付き、非行化する。

 教師にとっては、かなり厳しい言葉が並んでいたと思います。「褒める」「よく話を聞く」などは、私も大切にしてきたことですし、その子の課題ばかりに目を向けるのではなく、良いところに目を向けて認めていく、というようなことも率先して行ってきたことです。
 しかし、宮口氏は、今の教育現場のままの対応では、困っている子ども達の具体的な支援には全くなっていないと言っています。まさに心臓をつかまれたようにドキッとしました。

具体的にどう対応していけばいいのか?

 では、彼らのような子ども達に、具体的にどのように対応して関わっていけばいいのでしょうか?まとめます。

・子どもが変わる時に共通しているのは、「自己への気付きがある」「自己評価が向上する」こと。人が自分の不適切なところを何とか直したいと考えるとき、「適切な自己評価」がスタートとなる。つまり“自分はどんな人間なのか”を理解できることが大前提である。

・自己への気付きについては、押し付けではなく自分自身自ら“気付きのスイッチ”を入れねばならない。『子どもの心に扉があるとすれば、その取手は内側にしかついていない』 子どもの心の扉を開くには、子ども自身がハッとする気付きの体験が最も大切。大人の役割は、説教や叱責によって無理やり扉を開けさせることではなく、子ども自身にできるだけ多くの気付きの場を提供することである。 (ここは個人的に一番グッときました)

・これまで馬鹿にされ続けてきた少年たちは、自分も“人に教えてみたい”“人から頼りにされたい”“人から認められたい”という気持ちを強く持っている。それが自己評価の向上に繋がっていくのである。

認知能力向上訓練(コグトレ)を積極的に行う。(詳細は別冊にて)
写す『点つなぎ』、覚える『最初とポン』、見付ける『同じ絵はどれ?』、想像する『心で回転』、数える『記号探し』など。

教室で使えるコグトレ

 これまでと同様に、今後も学校で出会う子ども達の中に、おそらく特別に支援を要する子どもはたくさんいると思います。そんな中で、子ども自身が、自分がどんな人間か知るために他者との適切な関わりをもたせることや、説教や叱責ではなく子ども自身が気付くような場をつくることなど、心に留めておきたいことを教えてもらうことが出来ました。
 また、認知能力向上訓練(コグトレ)についてもさらに学んでみたくなりました。別冊でまとめられているようなので、ぜひそれも拝読してみたいと思いました。

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