私は真剣に教員を辞めようと思ったことがあります。同志の皆さんも、程度はそれぞれでしょうが一度は思ったことがあるでしょう。私は真剣に転職活動をしたこともあります。そこで、世間が必要としているもの、自分に備わっているもの、備わっていないものなどを知りました。そして、自分には結局教育しかないことを悟った記憶があります。同時に、もっと広く学ぼう、世の中を知ろうとも思いました。世の中の仕組みやお金の仕組み、それを支える仕事や資格などを学びました。言うなれば、社会人になってからの「セルフキャリア教育」です。

学校は真にキャリア教育になっているのか?

 私自身を振り返ってみると、人生の分岐点に立たされた時、何を見据えて決定してきたでしょうか。例えば、高校時代、文系か理系かの分岐点。私は物理ができませんでした。だから文系に進みました。目先の教科の点数しか見えていないバカでした。ですが、多くの場合、得意苦手で進路を決定してきたのではないでしょうか。しかし、その決定をした瞬間に、一体どれほどの職業が自分の歩む道から消えただろうと思います。当時はそんなこと全く考えていませんでしたし、そのように教えてもらった記憶もありません。
 これは私の場合であるし、昔話であって、現在の高校ではもっとキャリア教育は進んでいるのでしょう。(希望的観測)しかし、私自身の小学校教員生活において、これがキャリア教育だと胸を張れる実践をしてこれたことは正直ほとんどありません。

自分を知る、仕事を知る、経済を知る

 キャリア教育とは、「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア(経験)発達を促す教育」と文科省は定義しています。つまり、社会的・職業的な自立に向かっていく必要があるのです。では、どうすれば向かっていけるのでしょう?私は、より『自分を知ること』『仕事を知ること』『経済を知ること』の3つが必要なのではないかと思います。それも、できるだけ早い時期からです。

 『自分を知ること』とは、自身の性格、興味関心、得意苦手(教科の点数だけでなく)を自覚し、それを生かすとどんな未来があるのか、もしくは生かさないとどうなるのかなど、幅広く可能性を考えることです。
 『仕事を知ること』とは、単に今ある様々な職業を知るに留まらず、ブロガーやユーチューバーなどの働き方や仕組み(過去時間・他者時間労働)、まだ見ぬ未来の仕事、これからの需要と供給など、未来の実社会を生きるために必要な仕事を考えることです。
 『経済を知ること』とは、仕事をしてお金を稼ぐことや、増やすこと、備えること、使うこと、貯めること、納めることなど、生活していく上で欠かせないお金に関するあらゆる仕組みを考えることです。

 これらをしっかりと考えていくことで、少なくとも「生きていくこと」「生活していくこと」「働くこと」などについて、何も考えず何も知らないで社会に放り出されることはなくなるのではないかと思います。

教師こそ社会への意識を高めよう

 「教師の常識は社会の非常識」「教師は世間知らず」などと揶揄されます。自分はここに残念ながら当てはまっていました。ろくにお金の仕組みも知りませんでしたし、経済や税金などの仕組みも知りませんでした。しかし、本来そんなことではいけないはずです。社会のことを知らない教師に、これから社会へ出ていく子ども達は何を学ぶのでしょう。これまでも述べてきましたが、テストの点数を取らせることばかりではいけません。これから社会にでる人間を育てる役目があるのですから、教師こそ社会への意識をより高めていく必要があると思います。

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