令和2年4月7日、首相から7都府県に緊急事態宣言が出されました。それを受けて宣言下にない多くの地域・自治体でも、同様に小中高の学校休校再開に踏み切りました。3月から一斉休校となり、さらに延長されて5月6日までの約2か月間、子ども達は自宅での家庭学習を余儀なくされました。このような状況に置かれた学校や家庭の様子から、『これまでの教育』と『これからの教育』について考えたいと思います。
● これまでの教育
休校再開を受け、各学校現場では子ども達が家庭学習ができるようにと、課題の作成に追われました。私の職場では、「3月の未履修分もあり、さらに1か月もあるとなると、相当の課題量を出した方がいいだろう。」「本当は学校に来て授業があったんだ。その分の課題をしっかりださないと、子どもは遊んでしまうだろう。」などと言う先生方の言葉が飛び交っていました。私はこういった言葉を聞いて“本当にそうかな”と思っていました。
もちろん、これらは完全な間違いではないと思います。何も課題を出さないと、この2か月間の子ども達の学力保持が不安ではあります。しかしこれは、『学力』という観点においてのみの話だと思います。大人がとにかく課題を与え続けることが、果たして本当に子どもの為なのでしょうか?
これまで学校では、多くの場合で教師主導の授業(チョーク&トーク)が展開されていました。そして、授業で学んだことを中心に、家庭学習として先生から子ども達に課題が与えられてきました。子ども達にとったら、その与えられた課題をこなすことが家庭学習であったと言えます。これが一般的な公立学校の学びの流れではないでしょうか。
●これまでの教育の問題点
今年度から、改訂された学習指導要領が施行されます。改訂の目玉は、子ども達の学習場面において『主体的で、対話的な、深い学び』を保障することです。自ら学びに向かい、自分で考え判断し行動する『アクティブラーナー』を育てることです。
この改訂前の学習指導要領に記載されていた重要な文言が『生きる力』でした。生きる力とはどのような力のことを言うのかが、多くの学校で議論されていたと思います。この生きる力から、さらに今年度から主体性が特化されたと言っても過言ではありません。
さて、ここでもう一度考えたいのは、約2か月間の休校で自宅での学習を余儀なくされている子ども達は、“そもそも生きる力が備わっていると言えるのか?”ということです。
私は否だと思います。なぜなら、この休校期間中に教師が課題を大量に与えなければならない状況にあるからです。もし生きる力が備わっているのであれば、いわゆる自主学習を自ら行うことが出来るのではないでしょうか。少なくとも何をしていいか分からないということはないはずです。正にこの休校中の今、自らの力で生活したり学習したりできることが『生きる力』そのものではないでしょうか。
つまり、これまでの一般的な学校教育は、とにかく教師が与える教育でした。子ども達は、大人から与えられるのをただひたすらに口を開けて待つ状態でした。これでは、子ども達は与えられていない状況で自ら考えて行動できるはずもありません。これは、これまでの学校教育の重大な問題点であると思います。
● これからの教育
次のような有名な言葉があります。
魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ
飢えている人に魚を与えるのでは、この先もずっとその人に魚を与え続けなくてはなりません。そうではなく、魚の獲り方を教えれば、その人は一人になっても生きていけるようになります。この言葉を学習に置き換えるのなら、
『学力』を与えるのではなく、『学習力』を与えよ
先程これまでの教育でも話したように、教師が子どもに課題を与え続ける行為は『学力』を与えている行為だと思います。もちろん、学力を与えることは大切です。しかし、それだけでは飢えた人に永遠に魚を与えなくてはならないように、永遠に課題を与え続けなくては子どもは育たないことになってしまいます。
これからは『学力』だけでなく、学び方とも言い換えられる『学習力』も同時に高めていくことが大切になってくるのではないでしょうか。特にこの休校期間はその学習力が試されているとも言えます。これまで学校現場では『学習力』に目を向けてこなかったからこそ、課題をたくさん与えなければならないと考えてしまうのです。本来子ども達に自己学習力が身に付いていれば、そんなに大量の課題を与える必要はないはずです。
今後は、『与えられた課題<自主学習』となるように、子ども達に学び方を中心に教えていくべきではないでしょうか。
● 最後に一言
本来『学力』と『学習力』はセットです。知恵や技術を与えることに加え、それらの身に付け方や活用の仕方も同時に伝えていくことこそ、『教育(人を育てること)』ではないでしょうか。
この休校期間で、学校現場は考えてほしいです。“今の対応が特殊だから、この状況が沈静化したら元に戻す”ということではなく、“こんな時に生きて働く力の育成が本来必要だったんだ”ということを。そして、真に『生きる力』や『アクティブラーナー』を子ども達に育てていくべきです。