『子育てにおもちゃを』(著:樋口正春 エイデル研究所)
以前に紹介しましたおもちゃ屋さんで、2冊目を購入しました。(1冊目の内容はこちらhttps://marunekoblog.com/reading-parenting-of-poo/)
子育てにおけるおもちゃの存在について、とても説得力があり納得させられる内容でした。今日本で普及している一般的なおもちゃが、いかに子どもの成長第一ではなく営利第一で作られ、売られているかを考えさせられました。
●良いおもちゃとは何か?
まず筆者のまえがきの言葉にドキッとさせられました。
「けばけばしく飾り立てたものや、騒々しいおもちゃを、何のために子どもに与えるのですか?」
確かに、『おもちゃ』というと、コントローラーで液晶画面内の対象を操るようなものや、ラジコンやミニチュア電車のように電池で動くもの、派手なキラキラした人形や、キャラクターが話し掛けてくるようなものなどを連想します。
それらを子どもに“何のために与えるのか?”と改めて聞かれると、子どもが欲しがっているから、子どもが喜ぶから、周りのママ友たちも与えているから、などと私は答えるしかありません。
さらに筆者の言葉は続きます。
「おもちゃは子どもの何を育ててくれるのか?」
「おもちゃは子どもの成長や発達にどのような役割を果たしてくれるのか?」
そして言い切ります。
「大人はたかがおもちゃと思っているかもしれませんが、子どもにとってみれば自分が生きていく社会というものと慣れ親しんでいくための、手助けをしてくれる最も大切な道具なのです。」
● 子どもの「遊び」を捉え直す
子どもが豊かに成長・発達していくためには、幼児期の「遊び」がとても重要な役割を果たすことは言うまでもありません。しかし、私もそうですが、多くの親は、なんとなく子どもの遊びに“妙な教育効果”を期待して見ている節があります。
しかし、筆者は次のように主張しています。
「子どもは“教えられている”と感じている時にはそれが伝わらず、“遊んでいる”と感じている時にのみ、その子のものになっていく。」
「決して教育するために子どもを遊ばせるのではなく、子どもが純粋に遊んでいる時にのみ、そこに教育が存在する。」
つまり、もっと遊ばせてより多くの遊びを保障しましょう、もっと純粋に子どもの欲求に応えましょう、子どもの遊びを尊重しましょう、ということです。
このことは、我々親をはたと立ち止まらせてくれるような気がしました。
● 子どもとおもちゃの望ましい関係
他にも考えさせられた筆者の言葉を紹介します。
➀「おもちゃは子どもの遊びを“助け”たり“深め”たりする道具であって、“邪魔”するためにあるのではない。」・・・
電動のおもちゃは、子どもはそれに従うしかありません。勝手にしゃべる機能も、子どものペースでコミュニケーションすることができません。いつも笑顔の人形は、子どもの悲しい時の感情を共有してはくれません。
②「集中力のない子なんていない。“集中させてくれる程面白いものに出会っていない子”であって、“集中する程のこともない、つまらない環境しか与えられていない子”なのである。」・・・
本当に興味のあるものと出会った時の子どもの集中力・執着力の凄まじさは、誰しも一度は感じたことがあると思います。集中力がないと感じた時は、その子の環境を今一度見直してもいいのかもしれません。
③「子どもは早く育つ必要はない。無理をして早く育てられた子どもは、どこかで必ず歪みが出てくる。」・・・
発達段階という言葉があるように、その年齢に応じて獲得する能力・機能があります。同時に、その時々に適した遊びがあり、それを助けるおもちゃ(道具)が必要なのです。それらを無視して、十分に遊ばせなかったり素っ飛ばしてしまったりすれば、それはその能力・機能が十分に身に付いていかない可能性があります。
● 様々な良質なおもちゃの紹介
理論的な話ばかりではなく、“汽車遊び”“積木遊び”“人形遊び”など、本当はこういったおもちゃこそ選びたい、というその時々に適した良質なおもちゃも多く紹介されています。絵本や読み聞かせ、先進幼児教育のドイツの保育なども紹介されています。
私自身、子どもの遊びをじっくり見てみようという気持ちになりました。そしてその際に、遊びを助けたり深めたりするおもちゃがあるか?も、考えてみたいと思いました。
幼児教育に興味があったり、子育てが上手くいかないと悩んでいたり、おもちゃの与え方に悩んでいたりする方は、一読の価値ありの一冊だと思いました。