政府が、児童生徒にもPCを一人一台を検討しているというニュースを見聞きしました。いよいよ学校の子ども一人一人に対するICT環境の充実と、それに伴うプログラミング教育の実施が目前に迫っています。
🔵プログラミング教育とは
プログラミング教育とは、『子ども達に、コンピュータに意図した処理を行うように指示することができるということを体験させながら、将来どのような職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としての「プログラミング的思考」などの育成を図るものである。』と定義されています。
プログラミング的思考とは、『自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力』のことです。
さらに、プログラミング教育を実践することによって、『世の中の多くのものがコンピュータによって制御されており、一つ一つの動きがプログラミングによって実現されていることを、様々な体験を通じて実感させる。』としています。(参照:文科省「小学校段階におけるプログラミング教育のあり方について」議論の取りまとめ)
🔵プログラミング教育について思うこと
先日、本校でもプログラミングの研究授業が行われました。単元は6年理科「電気と私たちのくらし」の単元です。
私が考えたことは、次の二つです。
①プログラミングは、目的か手段か?・・・
指導案の指導方針に、“パソコン操作がプログラミングの目的ではなく、論理的に考えること(プログラミング的思考)の楽しさや面白さ、有用性を実感することが目的である”と書かれていました。
そう考えると、プログラミングは、論理的思考力を養うための一つの手段であると言い換えることができます。しかし、文科省からこうしてプログラミング教育が下りてきていることを考えると、それを体験させ、知識や技能を身につけさせることがすでに目的のように感じてしまいます。プログラミングは、目的か手段か?
今回の研究授業のように手段と捉えるなら、論理的思考力を養うことが目的なので、なにもプログラミングにこだわる必要はないということになります。
②どの程度のプログラミング力を求めるのか?
今回の研究授業では、micro:bit(マイクロビット)というソフトを用いてプログラミングが行われていました。これは、各命令をパズルのようにはめ込んでいき、それによってLEDが点灯するというものでした。タイピングのようなプログラミング操作は一切ありませんでした。
現在、学習塾で行われているようなプログラミング教育では、タイピングをしながら命令信号を送り、PC画面上で動きがあるようなものや、ものづくりをメインに、PCで命令信号を送ると、そのものが動くというものがあるようです。
このように様々なプログラミング教育の形がある中で、公教育の現場では、どの程度のどのようなプログラミング教育を行っていくべきなのでしょうか?
🔵一人一人の教師が、プログラミング教育をどう捉えているのか?
文科省から下りてくる数多の業務の中で、教師はそれらを単にこなすのではなく、各自で咀嚼し、自分のものとして授業を展開していく必要があると思います。プログラミング教育も、来年度から本格実施となる中で、どのような位置付けで実施していくのかを明確に各教師がもっておくことが早急に求められていると思います。
プログラミング教育をやらなきゃいけないからやるのではなく、こんないいことがあるから、こんな成果を求めて行う、という意識まで高めていきたいと思いました。