先日夏季に帰省した際、甥っ子(小2)が国語のテストを答え合わせをせずに持って帰ってきたことについて、姉から「先生が難しすぎるから答え合わせしなくていいと言ったらしい。そんなことあるか?どういうことだと思う?」と相談を受けました。瞬間は「んな馬鹿な」と思いました。が、「その先生は意図的な授業をしたのかもな」とも考えました。

一般的な授業を見直す

 一般的な学校の先生方は、学期直前に教科書以外の学習用具を業者に注文すると思います。その際、テストも多くの業者の中から選定し注文します。当然すべての教科を注文するので、すべての教科・単元でどのような問題が出されているか逐一確認する時間はありません。せいぜい基礎・基本重視か、応用・活用重視かを見るくらいです。ですから、先生方は、各教科で単元を始める前にテストに目を通し、指導し落とすことのないよう確認することが多いかと思います。
 しかし、本来このようなやり方は順序が逆だと思います。テストで点数を取らせるために授業を行うのではなく、子ども達にこの授業ならではの力を身に付けさせたいというねらいをもって授業をつくり、その目標達成度を確認するために総括的評価としてテストを行うのが筋だと思います。(一昔前は、小学校でも先生が自前のテストを作っていた時代がありましたよね)

 今回の甥っ子のテストの件で、私が前述のように考えたのは、その先生が児童の実態をみて身に付けさせたい力を明確にして授業を行った結果、業者テストとのズレが生じてしまった可能性もあるなと考えたからです。ですから、ノートやワークシート、自前テスト・プリント等を行って評価をしていれば、問題ないようにも思います。(業者テストに無駄金を使ったことにはなりますが)

授業と評価

 たまにテストの点数だけをデータ化して通知表等で総合評価する先生がいます。単元の最後に理解度・定着度を見るために行う総括的評価なのだから間違いではないように思います。しかし、子ども達は授業のどの時点で変容するか分かりません。ですから、単元の途中での、子どもの気付きや伸び、思考の深まり・広がりなどの変容(形成的評価)も大いに重要で評価すべきだと思います。「ノート点」「態度点」などと言って総合評価に入れている先生も多いかと思います。私は、通知表の所見欄にも、この形成的評価をなるべく子どもの具体的な姿で書き入れるようにしています。
 くり返しになりますが、テストの点数を取らせることのみが授業ではありません。それも大切なことですが、評価の一部に過ぎないと思います。授業にとって大切なことは、『今ある子ども達を、これからの営みをすることによって、どうプラスに変容させられるか』であると思います。その際、事前にその変容した子どもの姿を明確にもっておくことが大切です。そして、個々の変容を見取り、フィードバックして振り返らせる、自分の変容を自覚させる、自信を付けさせる、そして更なる変容へと向かわせること。この連続が『授業』なのだと思います。

 授業や評価、また学習指導案などについては、またいずれより突っ込んで考えていきたいと思います。授業が子ども達にとって「分かった」「知れた」「気付いた」「できた」「楽しい」といった変容の場になるよう、意図的・計画的に取り組んでいきたいものです。

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