今回は前回に引き続き、子どもが『自分事として』様々な活動に参加するようになるために、教師ができる手立て・工夫の第2弾です。長文です。全文でなくても、興味のあるところだけでもお読みいただけたらと思います。

【授業】

 授業は教師の役割の中核です。しかし、なんの工夫もなしにただ一方向的に一斉講義形式で毎時間授業を行っているとしたら、子ども達は『自分事として』授業に参加できるでしょうか。
 まずは授業に臨むにあたっての前提としての工夫と、授業そのものの工夫を紹介したいと思います。

➀学級の雰囲気づくり

 そもそも、なぜ授業では30人前後の子ども達が教室に集められているのでしょうか?(ここでは、“軍国主義時代のなごり”という視点は置いておきましょう。)
 それは、『子ども達にとっての社会であり生活の場そのものだから』『一人で学ぶより複数で学んだ方が、学びの広がりや深まりが期待できるから』であると私は思っています。でなければ、もはや一堂に会する意味はありません。オンラインで一人で学んでも同じでしょう。
 つまり、支えたり支えられたりする経験をすること、様々な友達の考えに触れて学び合いながら一人では決してたどり着けなかった場所にたどり着けること、これらこそ意義・目的ではないかと思います。そのためには、教室内が子ども達一人一人にとって『安心して生活できる場所』である必要があります。自分が認められていること(疎外されない)、安心して表現できること(否定されない)、頑張りを応援してもらえること(足を引っ張られない)などが、教室内で保障されていることが大前提となります。

 そうあるためには、仲間と多くの時間や空間を共有すると同時に、一人一人の違いや得手不得手にも触れ、個性として多様性を認める『雰囲気づくり』が欠かせないと思います。
 また、子ども達が目指したいと思える共通の目標(ゴール)を目指して、もしくは仲間の力になるために、“仲間に伝えたい”“仲間の話を聴きたい”“仲間の力になりたい”と子ども達の中に『目的意識や共同体感覚』がもてるようになることも大切だと思います。

②自己学習力向上のための授業形式

 『自分事として』というのは、主体性とも言い換えられます。つまり、自分から進んで学びに向かえることが大切な要素です。そのためには、自分で自分の学びのサイクルを回せることが求められます。
 私が意識していることは、「勉強を教えるのではなく、学び方を教える」ということです。例えば、間違えた問題こそ大切にして、それをできるように練習するとか、集中するために、まずは簡単な計算問題を数問時間を計って解くとか、漢字はまずは読めるように漢字音読をすると良いとか、新出漢字そのものよりも熟語をたくさん知っておいた方が良いとか、そういったことを教師は学んでおく必要があるともいます。
 さらに、授業も一斉講義形式以外の授業形式も積極的に行っていくのが良いと思います。例えば、個別化を図った自由進度学習や、協同化を図った学び合い学習、探究中心のプロジェクト学習などです。それぞれに目的があり、子どもの実態や単元、教材などによって授業形式を変えていくことをお勧めします。

③「学び直し」の保障

 一斉講義形式で問題になるのが、「吹きこぼれ」と「落ちこぼれ」を生み出してしまうことです。つまり、出来る子は退屈をし、出来ない子は置いて行かれるということです。

 すでに学習内容を身に付けている子には、それを言葉で説明してもらったり、時間を計って解かせたり、練習プリントを用意しておいて自由に選択させて解かせたりして「吹きこぼれ」るのを防ぎます。

 その教科が苦手な子には、どこでつまずいているのか知るために、できるところまで降りてあげる時間を取ることです。決して手遅れなんてことはありません。小学校高学年でも3年生前後くらいまで降りて学び直すことだって普通にあります。そう、“普通にある”という感覚をまずは教師がもっていることも大切です。
 そのために、国語では漢字、算数では計算の各学年もしくは各単元ごとのプリントを教室に常備させておくことをお勧めします。子ども達もどの場所にどの学年のどの単元のプリントがあるか分かっていれば、自分からそのプリントを持っていき学び直すことができます。できれば、出来ない子だけのためのプリントではなく、“全員が復習したいときにいつでも学び直せるためのプリント”であることを共通理解させたいです。そうすれば、苦手な子の自尊感情を傷つけることもありません。

【読書】

 「先生、うちの子は本当に本を読まないんです。どうしたらいいでしょう?」

 これは保護者の相談案件では常に上位です。読書は、多くの情報をインプットできたり人生を豊かにしたりします。その効果効能は誰しもが認めるところです。我が子にも本を読んでほしい。これは親であれば願って当然かと思います。

➀読書環境を整える

 みなさんご承知の通り「本を読みなさい」と言っても子どもは読むものではありません。むしろ本離れを強化してしまう恐れがあります。
 まずはその子をとりまく環境を読書環境に変えることから始まると思います。人的環境である教師も子ども達と一緒に読書をし、親にも一緒に読書してもらうよう促していきましょう。また、子どもの生活空間におすすめの本を何冊か置いておいたり、読書タイムを取ってみんなで読んだり、友達同士で紹介し合う時間をつくったりし、とにかく読書環境化していくことです。これは、一種のヒドゥンカリキュラムと呼ばれるもので、環境が子どもに影響を与えていくというものです。その環境で生活していれば、自然とその習慣が身に付いていきます。

②読書意欲の向上

 読書が好きになるきっかけは、個人的には2点あると思っています。

 1点目は、大好きな本に出会えた時です。私は4歳と1歳の娘に毎晩絵本の読み聞かせをしています。定期的にお気に入りの本が出てくるのですが、ずっとその本ばかり持ってきて読んでくれと言います。2週間でも3週間でもその本ばかり読みます。内容はおろか台詞まで暗記してきた時、ふとその本から離れる瞬間があります。ああ、もう十分その絵本に浸りきったんだなぁと思います。そしてまたお気に入りの本と出会えるのを楽しみに、毎晩の読み聞かせをするのです。このように考えると、その子が今何に興味をもっているのかや、好きなことは何かをよく観察して把握することが近道なように感じます。それに合わせて本をそっと差し出せることが大切なのだと思います。

 2点目は、目的のために読書の必要感がある時です。何か絶対に達成したい目的があって、そのために本を読むことが必要だと子どもが感じているとしたら、主体的に本を取るはずです。主体的に手に取った本は、その子にとっては意味のある特別な本であるはずです。そして得るのものも大きいと思います。そのような経験の積み重ねが、さらに読書意欲を高めていくように思います。このように考えると、自分がどうありたいか、何を目指したいかなど、常に目的意識をもって生活や学習をしていくことの大切さがわかります。

【家庭学習】

 以前『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)の著者である、工藤勇一さんが、『宿題を出すことの問題点』についてまとめられていました。

➀すべての子どもに適した宿題は出せない

 ・すでにできる子にとっては無駄な時間

 ・苦手な子にとってはこなすことができずに劣等感を生む

②多くの子は「宿題の提出」が目的となり、「分からない・できない」を飛ばす

 ・「分からないこと」を「分かる」ようにする勉強ができない

 ・タスクだけこなす習慣が身に付き、課題の発見や解決の力が奪われる

③課題を提示しないと行動できなくなる(主体性・自律性を失う)

 これらは、学校から与えれれる家庭学習(宿題)の課題を本質的に指摘されていると思います。家庭学習は「させられる」のではなく「自らする」べきです。ではどのようにしたら「自らする」ようになるのでしょうか。

➀学習の仕方を教える

 学校では、知識や技能を教えることも大切ですが、『学び方』を教えることこそ本当は大切にしたいと思います。“勉強って、こうやるといいよ”ということです。子どもはそもそも学ぶことは好きなはずです。よりよい学び方を知らないだけなのです。
 学び方は無数に存在すると思いますが、私は“間違いこそ宝”を合言葉にしています。間違った問題をどこでどう間違えたのか理解する時間を大切にし、理解したら繰り返し練習するという『学び方』を示しています。だから、自分がどのような傾向の問題が苦手なのかを分析することが大切だと伝えています。そうすると、答え合わせを正確にしなければいけない意味も出てきます。
 細かい桁で言うと、漢字は新出漢字単体で練習してもあまり意味はないと思っています。使われ方をどのくらい知っているかがすべてです。ですから、熟語を練習するといいよと伝えています。計算は、間違えた問題のみでもいいと伝えています。その代わりじっくり分析してねと伝えています。出来る子には、時間を計ってタイムが縮まるように練習してくるといいと伝えています。

②学習の工夫を認める

 自分から学習ができてくると、様々に工夫してノートにまとめてくる子が現れ始めるでしょう。私は、多少疑問をもったとしても、まずは工夫してきたことを大いに評価します。その子のノートを全体に紹介したりコピーして教室掲示したりします。すると、今後も自分から学びを進めようと主体性が加速します。
 また、前述しましたが学習の仕方は無数にあります。子どもによっても合う合わないがあります。ですから、その工夫が誰かにはピタッとハマる可能性もあります。メリットを生かすために、あまり子ども達の工夫には口を挟まないようにしています。

③成功経験と失敗経験をさせる

 ある程度自分から学習ができたとして、では全員がテストが良い結果となるかと言われれば決してそうではないと思います。むしろ狙っているのはそこではありません(子ども達がねらっているのはテストの点数でしょうが)。
 本当に狙っているのは、主体性や課題発見能力、課題解決能力の向上です。ですから、失敗してもいいのです。むしろ失敗をリフレクションし、次に生かそうとする機会を保障することが大切です。そして、少しずつ自分の学び方を修正していき『自分の学び方のスタイル』を構築していけばいいのです。これこそが真の目的です。これらのサイクルを自分で回していき、いつしか成功経験を得る。これが正の強化を生み出していくのだと思います。

 いかがでしたでしょうか。私は、学校での生活や学習が『自分事になっている』ことは、大げさではなくすべての基だといっても過言ではないと思っています。子ども達に真の学びを与えていただきたいと思います。出来そうなことから少しずつ取り組んでいただけたら幸いです。

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