3月から考えると臨時休校も約3か月になろうかという長さになりました。6月から学校再開(分散登校等の措置あり)という自治体が多くなりそうです。
再開後は、学校にはどのような対応が求められるでしょうか?感染防止対応はもちろんですが、学力保障対応の観点からも多くの意見が出ています。
感染防止対応は、はっきり言ってきりがないかと思います。例えば、常時マスク装着や座席間の距離を数m離す、対面での会話禁止、手洗いや触れるものへの頻繁な消毒など、考えればきりがありません。ここまでしてクラスターが発生したとしたら、“学校を再開するべきではなかった”と言わざるを得ません。
学力保障対応についても同様に、はっきり言って正解のない問いであると思います。今回はこの学力保障についての学校の対応の最適解を考えたいと思います。
●子ども達のための学校であるためには
3か月分の学習内容を補充するために、みなさんも以下のような案を見たことでしょう。
・1日7時間授業
・夏休み大幅カット
・土曜日授業
・学校行事の削減もしくは縮小
これらは学習内容の時数確保のために考えられた策です。これらをすべて実行するよう検討していると宣言する自治体も現れました。
しかし考えたいのは、そこにはこれを実践する現場の教師がいて、実際にその中で活動する子ども達がいるということです。想像してみてください。このような環境下で子ども達は、意欲的に、主体的に、活発に、集中して学習に取り組めるでしょうか?私には、無気力で、受け身で、怠惰で、散漫とした子ども達の様子が想起されてしまいます。
対策会議の中に、そこで学び生活する子ども達の姿はあるのでしょうか?学力保障はもちろん大切ですが、時間さえかければ保障できるものなのでしょうか?ひょっとしたら、学力保障の観点さえも大人も押し付け、エゴなのかもしれません。
狭い会議室の中で、いわゆる有識者(何人現場を知っている人がいるのか)の方々だけが協議して決定するのではなく、現場の先生や保護者、そして子ども達自身に率直にどうしたいか、またどうするべきかを問うてみるべきだと私は思います。
現場の人達は出鱈目な回答をするでしょうか?私はそうは思いません。より当事者意識をもって考えると思います。そして、その中で出した答えは自分たちで決めたことですから、おそらく多少大変でも受け入れて、“させられる学習”ではなく“する学習”となるのではないでしょうか。少なくとも現場の人達は、上記の対策全てをやりましょうとは誰も言わないと思います。
●特定教科を削るか、各教科を均等に削るか
もう一つ議題に挙がっているのは、どの教科を優先的に行いどの教科を削るのか、というものです。
最もよく聞くのは、小学校では「国語と算数は大切だから削れない。総合や道徳、特別活動を削るべきだろう。」というもの。中学校では「主要5教科は大切だから削れない。それら以外の教科を削るべきだろう。」というものです。
ここで私が思うのは、『削られた教科は大切ではないのか?』ということです。私は小学校教員なので、総合や道徳を削ろうという声を多く聞いています。そのたびに“総合的な学習の時間や道徳の意義・目的は?そんなに簡単に削っていいものだったのか?”と思えてなりません。無くてもいいよねという先生には、今後二度と総合や道徳の大切さや必要性を語ってほしくないとも思ってしまいます。
ましてや、今は昔に比べIQ(認知能力)よりもEQ(非認知能力)を重視しています。削ろうとしている教科はEQの育成に大きく関わっている教科です。ここに来て、また昔のIQ重視主義、もっと言えば詰め込み・暗記重視主義に歩み寄ろうと言うのでしょうか?
私は、単純に全教科同じ割合で削るのがいいのではないかと考えています。各教科・各単元で軽重をつけることは可能なので、現実的にも実現できることです。
大切にしたい大単元や、後で何度も出てきてスパイラルで学ぶ単元、補強的だったり補足的だったりする小単元など、単元の性格は様々です。つまり各教科を総合的に見て、重要度の低い単元から削っていくということです。それでも足りない間に合わないというのであれば、初めて先に述べたような“行事削減や夏休み縮小”などを考えればいいと思います。もちろん、現場の声を尊重したうえで。
●最後に一言
今、世の中は非常事態です。このような時には正解は存在しません。だからみんなで最適解を導き出すしかありません。その最適解は一人でも多くの『みんな』で考えるべきだと思います。その『みんな』の中に現場の声がないなんてあり得ないし、最適解になるはずもありません。
私の考えも『みんな』の中の一意見です。より多くの『みんな』で意見を出し合い、我々当事者が納得して学校生活が送れるようにしていかねばならないと思います。